現代のアメリカ企業文明
スローンはGMの取締役の一員として、また権威のある財務委員会や賞与給与委員会のメンバーとして、時に本社に出向くことはあっても、それ以外はニューヨーク5番街のマンションで静かな余生を送ることとなりました。
しかし、その彼にも、どうしても自分の手で解決しておかねばならないことがありました。
その時期が来たのは、当時のハーロウ・H・カーティス社長がやがて定年の65歳を迎えようとしていた1957年のことでした。
50年代後半は戦後ブームが終わって、アメリカばかりでなく、GMにとってもいろいろな意味で危機であり、転換期でもありました。
まず外部環境としては、戦後はじめての急激な景気後退で自動車業界も大打撃を受け、これまでの単純な拡大一方の戦略は転換を迫られました。
他方、内部的にみても、業績の悪化は別として、深刻な事態が起こりつつありました。
経営の表面には出なかったが、株式の23%を握り、同社の財務委員会を牛耳っていたデュポン家が、1955年以来反トラスト当局からにらまれて、追放の憂き目にさらされようとしていたのです。
(事実1959年にはGM株全部を手放し、経営を離れました)。